たまたま見かけた韓国ドラマのタイトルバック上に、ハングルが3文字飛び出てくるのを見て、一体なんて書いてあるのか、どういう意味なのか知りたいと思い、最初は検索で済ませていたものの、体系的に知りたくなって参考書を手にした。
さらに、ドラマの中で、翻訳は同じ言葉が充てられているようだけど、セリフが違うのはどういうニュアンスの違いがあるのだろう、などと疑問が出てきて、もっと韓国語を理解できるようになりたいと思い始め、スクールへ。
学生時代の第二外国語として選択したドイツ語は身につかずに終わったのだが、当時と今を比較するに、「もっと知りたい、理解できるようになりたい」という欲求の強さが全く違う。
ちなみに、明治時代でもないのに「法学部生だからドイツ語選択に決まってる!」と、大学入学前からドイツ語を選択すると決めていたにもかかわらず、当初の意気込みはどこへやら、格変化に泣き、ドイツ語学習に関しては苦しかった記憶の方が強い。
この記憶のせいか、自分と外国語というものの心理的距離はかなり遠かった。
だからこそ、フランス語や韓国語に興味をもって勉強しはじめたことに対して、自分自身が未だに驚いているし、今となっては「外国語とは縁がない」という発想自体、単なる思い込みに過ぎなかったことを痛感している。
過去は過去、今は今。
語学を愉しめるようになって嬉しく思う。
この記憶のせいか、自分と外国語というものの心理的距離はかなり遠かった。
だからこそ、フランス語や韓国語に興味をもって勉強しはじめたことに対して、自分自身が未だに驚いているし、今となっては「外国語とは縁がない」という発想自体、単なる思い込みに過ぎなかったことを痛感している。
過去は過去、今は今。
語学を愉しめるようになって嬉しく思う。
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