2019年7月17日水曜日

七夕の願い事

今年は、七夕の短冊に願い事を書いた。
7月の上旬に入った、あるお店に短冊が用意されていて、願い事を書いて笹に結んでおいてください、と言われたのだった。

短冊に願い事を書くという行為は、子供の時以来。なかなか新鮮だった。
七夕は、そもそも織姫に技芸上達を願う行事でもあるし、ということで「フランス語と韓国語が上達しますように」と書いてみた。
笹は、お店の方が神社に奉納してくださるとのことで、なんともありがたい。
さて、願い事が叶うように勉強するとしますか。






「괜찮아」の力

韓国語を学ぶ前から、カタカナ表記で「ケンチャナ」=「大丈夫」という意味であると、ざっくり「知って」はいたものの、実際に「괜찮아~!」と声をかけられると、日本語の「大丈夫」では表しきれないおおらかさ、全然気にすることじゃないよ!というニュアンスが伝わってきた。

先日の韓国語スクールで、開始時間に少し遅れてしまい、「遅れて申し訳ございません!」と言いながらバタバタと入室したところ、先生から「괜찮아,괜찮아~!」と声かけをいただいたときに感じたことである。

先生のお人柄にもよるのだろうが、「괜찮아」の響きから、明るく、人をほっとさせる力を感じた。



2019年7月15日月曜日

過去は過去、今は今。

韓国語を勉強しはじめたきっかけは、ハングル解読欲によるものだった。
たまたま見かけた韓国ドラマのタイトルバック上に、ハングルが3文字飛び出てくるのを見て、一体なんて書いてあるのか、どういう意味なのか知りたいと思い、最初は検索で済ませていたものの、体系的に知りたくなって参考書を手にした。

さらに、ドラマの中で、翻訳は同じ言葉が充てられているようだけど、セリフが違うのはどういうニュアンスの違いがあるのだろう、などと疑問が出てきて、もっと韓国語を理解できるようになりたいと思い始め、スクールへ。

学生時代の第二外国語として選択したドイツ語は身につかずに終わったのだが、当時と今を比較するに、「もっと知りたい、理解できるようになりたい」という欲求の強さが全く違う。

ちなみに、明治時代でもないのに「法学部生だからドイツ語選択に決まってる!」と、大学入学前からドイツ語を選択すると決めていたにもかかわらず、当初の意気込みはどこへやら、格変化に泣き、ドイツ語学習に関しては苦しかった記憶の方が強い。
この記憶のせいか、自分と外国語というものの心理的距離はかなり遠かった。
だからこそ、フランス語や韓国語に興味をもって勉強しはじめたことに対して、自分自身が未だに驚いているし、今となっては「外国語とは縁がない」という発想自体、単なる思い込みに過ぎなかったことを痛感している。

過去は過去、今は今。
語学を愉しめるようになって嬉しく思う。










2019年7月11日木曜日

フランス語と韓国語

6月30日から、5週間以内に10コマ(1コマ50分)を受講するスタイルで、韓国語のマンツーマンレッスンを受けている。
4月から独学でぼちぼちと始めた韓国語学習だが、やはり、直接先生から習うのは愉しい。フランス語同様、一定期間直接授業を受けてみようと思う。

韓国語学習を始めてすぐに、フランス語と韓国語は連音化など似ているところがあるな、と感じていた。
そのことを、とある先生に伝えたところ、その先生は高校・大学時代とフランス語を学んでいらしたそうで、「韓国語とフランス語は似ているところがありますよ~」とおっしゃっていた。

いずれにしても、日本語が母語の当方にとっては発音の難しさが共通しているということになるが、縁あって学ぶことになった2つの言語を諦めずに学び続けていきたいと思う。